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西寧でもユースホステルにお世話になった。
ユースホステルを拠点にして、現地の旅行会社に行ってチベット滞在の相談をした。
社長と社員の女性が2人の小さな会社。
社長は王(ワン)さんといって、日本語が堪能なおおらかな人だった。
入域許可証のこと、ラサのほかにギャンツェやシガツェにも行きたいことなどを話し、最近のチベット情勢についても尋ねてみた。
当時は2008年、北京五輪が開催される年で、またここ最近のチベットでの暴動も気になっていたのだが、やはり取り締まりや検閲が大変厳しくなっているとのこと。
日本を出発する前には、チベットに入ればあとはわりと自由でガイドもつけず旅行者が集まり、ランドクルーザーをチャーターして各地をめぐるのが定番、というような話を聞いていたけれどもうそれは難しいなと思った。
きちんと正攻法でいくことにして、ワンさんに手配をお願いした。
出発の日も決まり、入域許可証の発行までしばらく時間ができたので、その間に青海湖という湖に行ってみることに。
こちらはパッケージツアーのようなもので、青海湖のほかに日月山、というところにも行くようであった。
バスではほかの観光客たちと一緒になるが、自分以外はすべて中国国内の人たちで、車内で唯一の外国人となった。
バスで隣になったのは、孫という10歳くらいの男の子。
お互いにある程度漢字でコミュニケーションが取れるので、手帳に漢字で書きながら出身地や干支などの話をした。
そうこうしているうちにバスは日月山に到着。
それまであまり知らなかったのだけど、日月山は唐の文成公主が吐蕃(チベット)国へ嫁ぐとき、ここで振り返り、唐との別れをしのんで涙を流した場所らしい。
文成公主をまつった祠が建てられ、あたりにはタルチョがはためいている。見たことのない独特の景色で、異世界のような、なんとも不思議な祈りの場所だった。
日月山を後にして青海湖に向かった。
青海湖という湖は本当に青かった、とでもいいたかったけど、曇り空でそれはかなわなかった。
世界2番目の内陸塩湖らしく、菜の花畑がとてもきれい。
それから数日後、許可証ができたとの連絡が。
出発の日に許可証を受け取り、そのまま列車に乗ることにした。
当日、久しぶりにワンさんの旅行会社を訪ねると、一緒にお昼を食べようと誘ってくれた。
現地の人と一緒に現地のものをいただけるのはかなり嬉しい。
旅行者ではなく現地の人が行くお店で、旅行者ではなく現地の人が食べるものを一緒にいただける、喜んでご一緒させていただいた。
ワンさんと2人の女性社員、そして自分の4人で中華のテーブルを囲んだ。
「どんどん食べてくださいね!」と出された数々の料理はチンジャオロース、豚足、きのこの炒め物、などなどいずれも非常においしかった。
また、ビールに焼酎に、飲んでは注いで乾杯をひたすら繰り返す。
ただ、ここでひとつの文化的な行き違いが生じてしまった。ワンさんたちは僕が料理を平らげると、新しい料理を注文してくれ、それをまた平らげるとどんどん次の料理を注文してくれた。
すぐあとで知ることになるのだが、中国では「満足しましたよ」という意味でごはんを少し残すのがマナーなのだ。
それを知らなかったため、出されたものは残さず食べるものだと思っていた自分は、出てきたものを次から次へとすべて食べていた。
しばらくしてお互いに「あれちょっとおかしいかも?」というかんじになり、2人でなんとなく察して社員の皆さんも一緒に笑い合った。
そして、ワンさんから「チベットしっかり楽しんできてくださいね!よく見てきてくださいね!」と激励してもらい、送り出してもらった。
バックパックを背負い、西寧駅へと歩いていく。
途中、橋のたもとに車を停めたタクシードライバーが声をかけてくる。
「青海湖に行くのかい(チンハイフー)?」
「No, Lhasa!」
そんなやり取りとしていると、いよいよチベットに向かうのだと否応にも気持ちは高まる。
駅で手荷物と入域許可証のチェックを受けて、ホームに向かう。
しばらくすると緑色の大きな列車が入線してくる。
これでチベットへ向かうのだとわくわくしっぱなし。
列車に乗り込み、自分の寝台席にザックをおろす。
ここから1956kmの道のりを23時間かけてチベットを目指すことになる。
チベット鉄道編に続きます