カザフスタン

バクーから南へ アゼルバイジャン

アイキャッチは旧市街から眺めるバクー市内
石油のおかげで発展著しい一方で、城壁の残る旧市街は歴史を感じる街並みでした

無事にカスピ海横断フェリーに乗船し、カザフスタンのアクタウから国境を越えてアゼルバイジャンに入国しました。前回はこちらです

ゾロアスター教寺院へ

フェリーが到着したアゼルバイジャンのバクーは石油で潤っていてゴージャスなかんじで、カザフスタンから一緒にカスピ海を横断した大学生2人、さらにそこにこの大学生の知り合いの女性が1人合流して4人で宿をとった。

バクーでももちろん特に何かやるべきことがあるわけではなくて、でもせっかくだからとバクー郊外にあるゾロアスター教寺院、アテシュギャーフにみんなで出かけてみた。バクーからおよそ20kmほどの位置になる。ゾロアスター教は拝火教ともいわれ、善の象徴として火を崇拝する。古来中東では中心的な宗教だったけれど、イスラム教の台頭とともに衰退。世界史で勉強したから言葉としては知っていたけれど、実際に残っているものを見るのは初めてだった。


アテシュギャーフや後述のヤナルダグはバクー市街からの距離が20km~25kmほどで、アクセスがそれなりに不便なのでタクシーの利用が便利です。バクー市街からはおそらく30分ほどかかると思います。

寺院のあるアゼルバイジャン郊外 あいにくのお天気ですが、奥にバクー市街とカスピ海がうっすらと見えます

当日はあいにくのお天気だったけれど、人数もたくさんいることだしタクシーをチャーターして出発。しばらく走ると草も木もない荒原のようなところに出て、そこにポツンとあったのがアテシュギャーフだった。

今の姿は17世紀ごろのものらしく原型は7世紀に遡るのだとか

タクシーを使ってアテシュギャーフ近くのヤナルダグとよばれる場所にも行ってみる。ここでは地面から火が噴き出しているようすを見ることができるのだけど、地中の天然ガスが地表に出てそれに火がついているとのことだった。草や木が燃えているわけでもなく、なにもない地面から火が噴き出す、確かに、この光景を目にしていれば火を崇拝することも自然な気がする。拝火教の起こりはこういったところからだったのかなと思った。

地中からの天然ガスが燃える

バクーでの日々

ゾロアスター教の寺院に行った以外は、特に遠くに出かけて観光というようなこともなく、カスピ海沿いから城壁に囲まれた旧市街を散歩し、ホテルの前にあるケバブ屋さんでケバブサンドを買って食べるような毎日で、ゆるゆる過ごしつつこのあと進んでいく方向を思案する。

旧市街に残る城壁の跡

とにかく車が多い印象でした 運転も結構荒っぽい・・・

アゼルバイジャンからグルジア(ジョージア)へ行くことも考えていたのだけれど、2008年8月にグルジアとロシアの間で戦争が起こり(後に南オセチア紛争とよばれる)、これを避けて南に進路を取りイランへと進むことに決定。アゼルバイジャンはカスピ海の西に位置しており、その南側でイランと国境を接する。バクーから南にイランとの国境も近い場所に「イスティスゥ(Istisu)」という温泉地があるらしいので、そこに寄ってからイランに行くことになった。

チャリダーの大学生は西に進んでいくため、ここでお別れとなった。アクタウで一緒になり一緒にカスピ海を渡って、なんというかこの旅の中でも特別な時間を共有したのでなんだかすごく寂しかったけれど、ほんといつも一期一会。

イランへ向かう

もう1人の大学生とバクーで合流した女性とともに、バクーからは夜行列車を使って移動して、イスティスゥへ進んだ。

イスティスゥでは山奥にある温泉地の宿(保養所?)に泊まり、久しぶりの温泉に上海から続くこれまでの旅の疲れをしっかりと癒してもらってリフレッシュ。カスピ海を渡り、大陸横断の旅もいよいよ後半に差し掛かってきたところでちょうどよいタイミングとなる休息だった。

翌朝、イスティスゥを出発しイランと国境を接するアスタラ(Astara)へ。タクシーはアゼルバイジャンの田舎道を走り続け、国境に到着した。

アゼルバイジャンを出国、5か国目となるイランへの入国はトラブルもなく、むしろ管理官の方たちはすごく親切で「よく来たね!」と迎えてくれた。当時、イランはアメリカから悪の枢軸と呼ばれ、自分のなかにもどういう国なのかイメージがなかったが、この国の人たちには本当に親切にしてもらい、あらゆる場面で助けてもらうことになった。

イスティスゥから国境のアスタラへと向かう

こちらに続きます
イラン入国 テヘランへ