中国

もう一度、出発

↑ウズベキスタンに到着したおそらく初日。タシュケントの宿から見たモスクと夕焼け。

もともとあっちやこっちに行くのが好きだったのだと思う。
小学校の遠足では班行動から抜け出し単独行動して先生に怒られ、中学・高校では青春18きっぷでひたすら遠くに出かけ、それがいつしか海外になり、26歳のときにはユーラシア大陸の横断に出かけた。

これは、小さなころから好きだった沢木幸太郎の深夜特急にあこがれて、いつか自分も、と思っていたものがようやく実現したものでもあった。

そして、ある意味これが自分の旅の集大成になるのだと、どこかにそういう部分もあったのだと思う。

いつまでも遊んでばかりはいられない、いい大学に入って、いい会社に入って、きちんとお給料をいただいて・・・、そうやって生きていかねばならないのだ、これで最後にしよう、そんな感覚だったのだと思う。
大学院までしっかり行かせてもらったのだ。そろそろ年貢の納めどき。

そして、旅から帰った次の4月から会社員としての生活が始まる。
働きだしてみるといわゆるブラックなこともあって毎日がめまぐるしかった。
しかし、流れるような日々の中で疲労を抱えつつも、ときに友人たちとお酒を飲んだり、たまの休日には映画を観に出かけたり、そんな日々が10年ほど続いていた。

そんなこんなだったのだけど、今年度に入って体調を崩してしまった。
お医者さんに診てもらうとオーバーワークによる自律神経の失調。
これがなかなか、というかかなりしんどく、そんな中で「このままこうやって生きていくのかな」と、仕事で疲れ果てる人生を自分で受け入れられなくなっていった。

そんなときに思い出すのが、旅する自分だった。
歩いて歩いて、バスに乗り列車に乗り、船に乗り、雨に濡れて風に吹かれて、ときには騙されぼったくられ、ときには掛値のないやさしさに助けられ、いろんな瞬間を思い出していた。

ふっと浮かんでくる旅の場面は「ちゃんと生きていかないといけないから」とずっと抑え込むように過ごしてきたけれど、最終、やっぱり、自分はこうありたいんだな、と、やりたいようにやらせてあげよう、やってみようと思うようになった。

というわけで、まずはブログの練習もかねて大陸横断の時にやっていたブログを移設していこうと思います。

写真も10年前のものだし、いま見ると結構恥ずかしかったりするのだけど、あれもまたそのときの自分の感性100%で撮ったものなので、自分の土台として大事に使わせてもらおうと思います 笑

とりあえずやってみよう、で始めていこうと思います。

こちらに続きます